上善如水

数あるネット上の浮遊物

諦めは心の養生

毎日コツコツ積み重ねが大事だと昔から言われてきた。
何かにつまづいたときには、最大限努力できなかった自分を責めた。
努力したけども報われなかったとき、ひとはまず自分を責めるはずだ。
いや、わからない。端から他人のせいにする人間もいる。
とにかく、自分はそういうタイプの人間ではない。



丁寧にしてきたはずの積み重ねが上手くいかず崩れてしまい
そこからまた始めなければいけない状況になったときにふた通りの考えがある。

  • 楽観的になる…またいちからがんばろう
  • 悲観的になる…あんなにやったのに、またいちからなんてできない


わたしは両方持ち合わせている。
これは気分や体調に左右される。
今日楽観的でも明日悲観に暮れることだってあり得る。
それがにんげんだもの。みつを。



一般的に大抵の人間が成し得ることができる類のことが、いま、できていない。
はっきり言って、努力次第でなんとかなる事柄ではないのだが、
いままでの人生で努力なく成し遂げられた事柄は、皆無なのである。
思い出せる限りで言えば、やったことが報われた成功体験あっての人生だった。



テストで100点を取れば褒められた
難関校に合格したので欲しかった物を買ってもらえた
コンクールで入賞すればこづかいがアップした
など枚挙に暇がない



そんな風に、それが当たり前だと思い込み、努力→成功という図式が当然あるべき、
という思春期~現在を過ごしたわたしが、いま、出来ないことがあるのである。




悩みとは人それぞれである。
わたしが直面しているこの問題も、喉元過ぎればなんとやら、なのだろう。

いまは休憩を挟まなければいけない。
その間に頭も心もクリアになることを望んでいる。
それも自分次第でしかないのだが。