上善如水

数あるネット上の浮遊物

永遠不変のものはない

ブログの更新が一年前だったことに、メールをもらって気づいた。
それくらいの月日が経ってしまったようだ。



不妊治療は終了した。
最後に採卵したのが2021年4月。
詳細につけていた治療ノートも見返す気がない。
たしか採卵が失敗して、移植ができなかったような記憶。



しばらくお休みしようと決めた。
でもさ、人工授精ならダメ元でやっても、負担ないからいいんじゃない?
ってわたしが自分で言ったような記憶。



それと同時に、卵子提供も視野に入れ始めていた。
日本じゃない、ここに住んでいるからできることを、ってけっこうふたりで前向きだった記憶。



いろんなことがもう記憶の彼方に行ってしまった。














いま、彼はここにいない。




去ってしまった。




好きなひとができて、家を出ていってしまった。




それにはいろいろな要因がある、と頭では理解できている。




治療の成果が出なかったから、というわけではない。
彼は、そういう人間ではなかった。




でも、妊娠できていて、子どもが産まれていたら。




彼はここを去らなかった




かもしれない。




粉骨砕身

ここに文章を書くときは非常に荒んでいるという状態なので
読んでくれるひとがいなくても書くことにしている。



コロナ禍で世界中てんやわんやだった2020年。
夏に転院し紆余曲折あったが採卵・移植を決行し
結果、初の陽性判定をもらった。



前院と変わらず高刺激、そして戻した受精卵は二日目新鮮胚。
なんだかこれでよかったんだろうか?ともやもやしながら迎えた判定日。
採血結果は帰りの電車内での電話で聞いた。


ET12 で HCG25


全然実感がなかったし数値がでたのも初めてだったので検索魔になり
そうして得た情報は、継続率35%(だったか忘れたけど、とにかく低い)。


ET15 で HCG75


担当医は、数値はちゃんと伸びているからと言ってくれた。
でも、数字が何よりも信頼されうるもの、と思い込んでしまったわたしは
せっかく着床してくれた受精卵を信じることができていなかったんだと思う。



でも4wだったその週終わりごろには、眠気もいままでにないくらい頻繁にあり
気持ち悪さもうっすらと感じることができ、
なんとなくだけど何かが胎内にいるという事実を実感しつつあった。



5wになったころ、突然出先で腹痛があり、
何かが起きたのではないかと直感的に感じた。



産婦人科はクリスマスと年末年始を挟んでしまっていて
予約が年明けにしか取れず。



とりあえず電話してみたけれども、いまは様子を見るしかできませんと言われ。
そらそうだわな、自然妊娠だったら5wなんてまだ病院行かないもんね、と思い直す。



妊娠検査薬はまだ二本線を見ることができたけれども、なんとなく薄くなっていて。
感じていた体調の波も、これはきっとホルモン剤の作用なのかな、と思ったり。



とにかく気持ちが前に向かず、だいぶ辛いクリスマスと年末年始だった。



年が明けて7wに産婦人科で診てもらったけれど
HCGは0.8、胎嚢も作られる前くらいに化学流産してしまったんだろうと思う。



移植五回目にして陽性が出たという事実を鑑みて
治療はもうちょっとだけ続けたい。



余談だけれど、この周期のパワーソングは RADWIMPS だったなあ。
野田くんの声とともにクリニック通ってたよ。


七転び八起き

このままフェードアウトするかも…と思っていた不妊治療、とりあえず来月から再開することにした。
コロナだったしまあいいやーめんどくせ、とだいぶ投げやりにしていたのは事実で、しかし何もしないのはもったいない(謎)ので、がんばってタイミングだけは実行していた。でも毎度律儀にリセットされる。自然では本当に本当に本当にマジで神頼みしたってたまにコーヒー断ちしたって無理だということが理解できた。
夫は治療前と同じように、リセットが来たことを伝えると残念だったね…と言う。彼は本当に残念がっている。でもどうしようもないのだ。申し訳ないけれど。


夫は子どもが欲しいタイプなのだ。私はそうではなかった。彼が欲しいのならば死ぬほど痛いと思い続けているあの出産の痛みも耐えてやってもいいかな(爆)と思った。考え方の違いというか、どうしても私自身が心から子どもを望んでいるわけではなかったし、まあ人間のメスだったらだいたい産めるっしょ!みたいなどこか他人事のような気持ちしか持てなかった。


IVF専門病院に通ってからの丸二年、AIH と IVF に費やした。どうやってもできなかった。
ホルモン値はたいして重要視していない病院だったけど、超低AMHのわたしでも適度に刺激したら卵胞は育つし、採卵でも見えていた数だけは採れた。受精率は六割程度、内膜11mm前後、毎回初期胚を二個戻し、P4E2もしっかり補充した。最後はヘパリン注射までやってみた。残念なことに凍結胚は一度も実現できなかった。ドクターに凍結胚移植や胚盤胞の話もしてみたけれど、それは最後までやってもらえなかった。


でも、諦めたくなかった。


冒頭に「コロナだったしまあいいやめんどくせ」と書いたし、実際そう思う気持ちがあったわけだが、なぜか諦めの気持ちはなかった。だからせっせとタイミングだけはしてたのかもしれない(爆)


そうなのだ、斜めにトガっているこんな私だって、やっぱり心のどこかでは子どもを授かりたいのだ。
それに気づいて夫と話し合い、初診予約を取るに至った。


先のことはわからない。いつだってそうだった。
でもわたしは「実現するために叶うかわからない目標を持っていた」のは確かだ。だからいまここにいる。
全っ然スピ系じゃないけど、引き寄せの法則みたいなのはあるんじゃないかと思っている。
信じたいのは、「いま私自身が子を授かりたいと思う気持ち」を持っているということだ。