上善如水

数あるネット上の浮遊物

下手の考え休むに似たり

アレだ。


積んだよ。


とうとう終わってしまった。








二月から三月にかけて挑んだ不妊治療、
いちばん金のかかった周期になった。



結果、陰性。



なんでだろ?


ほんとわからん。


でも、ずっといままでそうだったんだけど、
自分が妊娠する予感なんてちっともなかったよ。


身体の変化とかそういうことじゃなくて、
文字通り、陽性判定出るとか自分が妊婦になるとか、
そういう一歩進んだ想像ができなかった。


それってちょっとおかしいよね。


期待するんだ、もちろん。


でも、その期待もしすぎるとあとで辛い結果かもしれない、って思って
抑制してんのかな、上手く説明できないけど。


そんで陰性だったら「あーやっぱりね…」って、それで終わり。


こんなに真剣に取り組んでるのに。


なんで結果がついてこないの。









最後の治療と決めていた。


でもなぜか諦められない。


ヤバい、これじゃ不妊沼じゃん。


だからしばらく治療はしない。


そのままフェードアウトするかもわからない。


どうせコロナだし。


なるようになれ。

後ろから前を向く

あっという間に年が明け、2020年になった。


あけましておめでとうございます。
今年の抱負は妊娠することです、よろしくお願いします!


…と書いてちょっとサムいなと思う。


わたしは昔からどうも素直ではなく完全に天邪鬼だった。
何かを褒められてもひどく謙遜をし、その様に相手はきっと呆れたことだろう。
褒められ慣れていない人間はきっとそうなんじゃないか。
かなり頑張っても思うほどの高みへは届かず、滅多に褒めてくれなかった親。
そんな小さなことが積み重なると、子どもは少なからず卑屈になっていくだろう。


冒頭に書いたような、今年こそは絶対〇〇するぞ!みたいなのって
自分では本当は書きたくない。
誰かがTwitterで呟いたらちょっと身震いする。
ただ、それを思う気持ちは持ち合わせている。
ただ、誰かに向かって言語化したりすることに前向きになれない、それだけ。



話は変わって、週末に古いパンフレットや手帳が入っている箱を開けてみた。
そういうものは以前からこまめに厳選してあるので
今回開けたからといって捨てたりするものが新たにあるわけではない。


古い手帳の内容をもう一度読み返してみて
そのときに付き合っていた男とは別の男と定期的に寝ていたことを思い出し
(もちろん記憶ではしっかり覚えている。細かいことをだんだんと思い出したということ)
それに関連して何度か「生理きたーよかったー」と書いてあったのを読んで
もうそろそろ不妊治療も終わりにしなきゃな…とふと思った。



この種のタイミングはいつも突然訪れる。



もしかしたらわたしは10年以上前から不妊だったんだと思った。
生理もほぼ規則正しく来ているし、治療では卵子も毎回取れる。
でも、いままで誰とどんなに関係を持っても、一度も妊娠したことがない。
関係した人数は20人以上いて、一度も間違いを犯さなかったわけがないのだ。



わたしが生きている意味とかあるのかな、とか、
やっぱり孫見せてあげられないのって親不孝なのかな、とか、
これから夫とふたりで残りの人生本当に楽しめるのかな、とか、
またタバコ吸い始めようかな、とか、
そんなループでいっぱいになってしまった。



これからのことなんて考えられない。
いまできることは、いまやるだけだ。


米津玄師 MV『vivi』

友を思い、自分を想う

何処かにぶつければスッキリするのだろうか。
誰かに泣きつけば安心するのだろうか。
そういうことをたまに考えるが、適切な相手がいないことに気づいてその思考はそこで終わる。



友達は多いほうだった。転校を何度か繰り返したからなのか、新しい場所でひとりでいることはほとんどなかった。むしろ、転校生って誰か他の子じゃなかったっけ?まで言われたりするほどだった。わたしと違って微妙な学年で転校せざるを得なかった姉はいつも新しい環境に馴染めず、いじめられたこともあったと後に母が言っていた。


友達は一緒にオトナにはならない。
そのころ仲良くしていた子たちも、わたしがまた転校してからも手紙を交換したりしていたけれど、自分の置かれている環境が変わっていくにつれて人間関係も変化していくのが当たり前なのだ。


そんな中でも30年来の付き合いになる子たちもわずかに存在し、いまでも連絡を取り合うことができるわけだが、彼女たちは家庭があり仕事も充実している(ようにわたしには見受けられる)。


前は彼女たちをはっきり言ってうらやましいと感じたことはなかった。むしろ、能力がある部類の女性なのに結婚して子どもを産むなんて…と、わたしの価値観にはまったく当てはまらない生き方を好んで選んでいることにびっくりしたものだ。30歳になる前に結婚、出産を経験するということは、目の前にあったキャリアをあっさりと捨てたということだ。少なくともアラフォー世代はそうであるはずだ。


しかし、彼女たちは子育て真っ最中のいま、キャリアではないがきちんと仕事をしている。いわゆるワーママをしっかりとやってのけているのだ。


恥ずかしながら、この事実を理解するまでに時間がかかった。


出産、子育て中の2~4年は28歳~34歳あたりが多いと思うが、その円熟期にキャリアを選ばなかったら仕事復帰は無理だろうと思い込んでいた。本当に。心から。そんなわたしはいま、特にキャリアでもなくむしろ第一線から離れていっている。そこに意欲が向かなくなってしまった。だからなのか、子どもにエネルギーを注げるのはうらやましいと思うようになってきたのが正直なところだ。



子どもがなかなかできないという事実は、わたしを打ちのめす。
自分なりに人生プランを立ててきたのに、プラン通りにいかないことが腹立たしい。
何のために勉強してきたのかわからない。
何のために生きているのかわからない。



こういう気持ちのときに、カフェや家で愚痴を言い合える友だちはもういない。
みんな電車に乗って大人になってしまったのだ。
わたしだけ駅に取り残されてしまった。



ただ、もうすぐこのもやもやした気持ちにも終わりを告げなければいけないかもしれない。
時間がないのだ。


いま、この状態の自分を何年後かに思い出したとき、後悔しなかったよと言える自分でありたい。