上善如水

数あるネット上の浮遊物

友を思い、自分を想う

何処かにぶつければスッキリするのだろうか。
誰かに泣きつけば安心するのだろうか。
そういうことをたまに考えるが、適切な相手がいないことに気づいてその思考はそこで終わる。



友達は多いほうだった。転校を何度か繰り返したからなのか、新しい場所でひとりでいることはほとんどなかった。むしろ、転校生って誰か他の子じゃなかったっけ?まで言われたりするほどだった。わたしと違って微妙な学年で転校せざるを得なかった姉はいつも新しい環境に馴染めず、いじめられたこともあったと後に母が言っていた。


友達は一緒にオトナにはならない。
そのころ仲良くしていた子たちも、わたしがまた転校してからも手紙を交換したりしていたけれど、自分の置かれている環境が変わっていくにつれて人間関係も変化していくのが当たり前なのだ。


そんな中でも30年来の付き合いになる子たちもわずかに存在し、いまでも連絡を取り合うことができるわけだが、彼女たちは家庭があり仕事も充実している(ようにわたしには見受けられる)。


前は彼女たちをはっきり言ってうらやましいと感じたことはなかった。むしろ、能力がある部類の女性なのに結婚して子どもを産むなんて…と、わたしの価値観にはまったく当てはまらない生き方を好んで選んでいることにびっくりしたものだ。30歳になる前に結婚、出産を経験するということは、目の前にあったキャリアをあっさりと捨てたということだ。少なくともアラフォー世代はそうであるはずだ。


しかし、彼女たちは子育て真っ最中のいま、キャリアではないがきちんと仕事をしている。いわゆるワーママをしっかりとやってのけているのだ。


恥ずかしながら、この事実を理解するまでに時間がかかった。


出産、子育て中の2~4年は28歳~34歳あたりが多いと思うが、その円熟期にキャリアを選ばなかったら仕事復帰は無理だろうと思い込んでいた。本当に。心から。そんなわたしはいま、特にキャリアでもなくむしろ第一線から離れていっている。そこに意欲が向かなくなってしまった。だからなのか、子どもにエネルギーを注げるのはうらやましいと思うようになってきたのが正直なところだ。



子どもがなかなかできないという事実は、わたしを打ちのめす。
自分なりに人生プランを立ててきたのに、プラン通りにいかないことが腹立たしい。
何のために勉強してきたのかわからない。
何のために生きているのかわからない。



こういう気持ちのときに、カフェや家で愚痴を言い合える友だちはもういない。
みんな電車に乗って大人になってしまったのだ。
わたしだけ駅に取り残されてしまった。



ただ、もうすぐこのもやもやした気持ちにも終わりを告げなければいけないかもしれない。
時間がないのだ。


いま、この状態の自分を何年後かに思い出したとき、後悔しなかったよと言える自分でありたい。