上善如水

数あるネット上の浮遊物

iPhone とランドセル

「iPhone なんで買わないの?」と聞かれることが多い。超個人的な理由で買わないだけなのだが、その質問には実は辟易している。例え、他愛無い話のひとつだとしても。しかし、どうでもいいじゃん、とは思わない。人間が欲求を満たすことは大事である。私は他のことで欲求を満たすことのできる人間であるのでいいのだが。

iPhone を見ているとランドセルを思い出す。黒と赤。iPhone は黒と白。どちらも「シンプル」という意味と形が完全に凝縮されている。

私はランドセルは好きでも嫌いでもなかった。自分と同じく幼い周りの人間が、二種類しかないものを「自分のものだ」と疑うことの無かった、ただそのままの素朴な感情。そこにあって当然のもの。しかし、その感情に左右されない数少ないアイテムであったランドセルを、小学校五年生になったときに捨てたいという衝動に駆られたのも、また事実である。

しかし、自我というものが発生・発達してくると、完全ではなくとも、自分以外の他人との、ある種の明確な線引きを欲する。それを人は「第二次性徴」と呼ぶ(これたぶん違う)。

とかそんなことはまぁどうでもよくて、私は単純に iPhone なんか欲しくないのだ。どれだけ真剣に「如何にして私が iPhone を買わない理由」を説明しようとも、大半の、97%(当社比)の人間は「そうなんだ〜^^」と言いながらきっと心の中では「くだらねぇことで意地張って馬鹿かこいつ」などと思っていることだろう。そういった、本来では読むことのできない人間の心情を想像するのも、私にとってはまた楽しいことだ。それが当たっていようと外れていようとも。

ここまで書いておいてなんだが、私はリンゴマークの会社が嫌いなわけではない。事実、iPod Touch を持っている。結局は用途の違いなんだろう。私は携帯音楽プレーヤーを持っていなければ生きていけない。ような気がしている。no music, no life 。笑いたければ笑うがいい。

私が腑に落ちないのは「なぜ iPhone でなければいけないのか」というこの一点のみなのだ。本当に理解ができない。私の脳に何か欠陥でもあるのだろうか。それとも単に思考回路の問題か。