上善如水

数あるネット上の浮遊物

必要か不必要か

話さなくなって久しい友人がいる。とても近くにいた友人。住んでいる距離だけで言えば今でも近い。しかしある出来事を境にゆっくりと着実に話さなくなった。私個人にとってその出来事は重大なことではなかった。ここではその友人を仮にAと呼ぶことにする。

そもそも価値観が違うのだ。そんな私達が話すようになったのはお互いに欠けているものを埋めたかったからではないだろうか。お互いの言い分を受け入れたりそれは違うと言ってみたり、とにかくどんな下らないことでも私達は語り合った。およそ三年半。

いま私はAを必要としていない、と感じている。Aもまた私のことを必要としていない、と感じているはずだ。磁石に砂がかかってしまったのだ。その砂を意図的に払いのけない限り、磁石 −私達− は永遠に近づくことが不可能なのだ。

Aが側にいないことでものの見方が昔に戻った。たくさんの人間に会いたいと思うようになった。AがいたときはAだけで十分だと思っていた。こんなに私達は互いに語り合えるしそれこそ各個人の尊重もしていた。もしかしたらそれは当時の思い込みなのかもしれない。

話さなくなる直前にAは言った。わたしの友達にあなたみたいな人はいなかった、と。この言葉はなぜか私の記憶に色濃く残ってしまった。前後に何を話していたのかすっかり忘れてしまったが、プラスにもマイナスにも取れるこの一文をAはどんな気持ちで発したのだろう。

私の知人にAのような人がいたかどうかはまったく覚えていない。そんなことは私にとってどうでもいいことだ。人同士の付き合いとは瞬間的に相手に合わせていくものだと思う節があるせいだろうか。私自身はじっくり相手を見ていると疲れてしまうので広く浅くの付き合いが大半になる。きっとAはそれを好ましく思っていなかったのかもしれない、なんて書くとただの自惚れのような気もする。

いまさらこんなことを書くということ。わたしの内部で何が起こっているのかは自分でもわからないのだが、とにかく書いておきたかったとだけ書いておこう。Aとまたいつか話す日が来るのかなどいまの私には到底予測できない。