上善如水

数あるネット上の浮遊物

内なる誰か

あけましておめでとうございます。
2018年もゆる更新です。
とまあ、誰も期待していないブログですが。


時々ふわりと思いついたことを書きたいとはじめたこのブログ、知らないうちに六年くらい経っているのではなかろうか。いつも書いているけれど、年数は問題ではない。


下書き保存しておいた記事を読み返したら、意外におもしろくもなんともなかったので消した。意外性は大事だと思っているが、その意外性をここで出さなくても良くないか?という自分の中の誰かがそんなことをつぶやいた。
もちろん書きたくなったらいつでも書くのである。ただ、一週間前に考えていたことが今週はしっくりこなかった。それを内なる誰かがそっとつぶやいてくれた。そうすると少しだけ軽くなる。


自分はひとりではない、と思う。宗教には入っていない。神様はちょっとだけ信じている。大抵はどうでもいいシチュエーションで神様を呼ぶ。上にも書いた、内なる誰か、というのは便利な存在である。そう、そのおかげでわたしはひとりではないと思えるのである。